写真家・大西忠保さん

沖縄アートギャラリー

2010年04月02日 15:40

この写真を撮って「あはごんしゅぎ」がまっとまったそう。
何枚かある建物の写真へ込めた思いを話してくださいました。
「当時全軍労として戦ってきた人たちが、生きてきた住んでいた建物なんです。そういう思いが僕の中にある。ほんとに屋根とびそうで、紐で錘をさげている。そういう形でなんとかもたせようとしている。ただもうこういう家にはすめないけど、輝いている。その頃の沖縄。その頃みた人の心と1997-8年に見たその沖縄の人の心の落差みたいなものが一方で感じぜざる得なかった。すくなくとも、ここで輝いている建物の美しさだけは、自分の中に持ちつづけたかった。この景色の中で感じる思いというものを言うことだけが、できることなんだ。最初、なんでこういう建物ばかりとるんだろうって思った。その頃に来た自分が見た、沖縄の人の心だったり。風景だったりと。今の風景の落差に対し、そこにそこを照らす太陽の明るさ・まぶしさのその違いのなさ。ただ、存在するものは崩壊していくわけですよね。崩壊していく中でも美しいわけです。要するに輝いているわけです。やっぱ輝いているんだな。人の心のオマージュみたいな。精神のレクイメムみたいな。景色が人の心を代弁しながら滅んでいくときに見せる美しさみたいな。そういうものとして自分には見えているんだなって思ったんです。そしたら、撮るのが物凄く楽しくなった。」

アハゴンさんと出会って、沖縄と出会って、沖縄の人・物・光と出会って形になったものが、この写真記録だそう。

文字にした後で読み直しましたが、大西さんの声でないと伝わらないと感じました。
「あはごんしゅぎ」に興味を持たれた方には、おこがましいと思いますが、今回大西さんに教わったことを少しでも伝えていきたいです。

「2003・7 摩摩文」の写真について、質問すると
「写真って一生懸命とっていると、神様が贈り物をしてくれるんです。」
と説明してくださいました。「像の檻」は、平和サミットを終えて、外にでたらその光景があったそう。「神様の贈り物」と優しい口調で言う大西さんの写真が私にとって「神様の贈り物」です。


長い時間をかけて、お話してくださった大西さん本当に有り難うございました。



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