9月7日の記事

沖縄アートギャラリー

2014年04月22日 06:00

ボーイフレンドは78さい


私(43歳)には、新潟から移住した78歳のボーイフレンドがいる☆出会いは、2011年。映画の帰りにギャラリーに入ってきた。
白鳥恵三。S10年12月2日生まれ。78歳。日本のゼネコンの黄金時代を生きた。
生涯稼いだ金額は、三億六百万。彼女の数は、21人。白鳥ちゃん曰く、私は、22人目になるらしい。人生想うこと「人間は必ず死ぬことと見つけたり」
彼は、パソコンを巧みに扱い、社会人になってからの写真付き日。記を書き続けている。人には読まれては困る内容も多々。それでも、面白おかしく読ませてくれた。私が登場する日には、いつの間に写真とったんだ?って思うのもある。一緒に呑みすぎた日の内容には、体の事を気遣ってくれていたりした優しさがある。知り合ってから翌年には、かつての部下を沖縄に呼び寄せ「沖縄の女だ」と何のためらいもなく私を紹介した。部下達も流石だ。私を上司の彼女として扱い、皆でそれを楽しんだ(笑)引退して何年たっても上司を敬って集まった仲間達「来年はぜひ、新潟に遊びに来てください。」と誘われたので、ほんとに彼と翌年に行った☆
 新潟では、次々と紹介された。昼間の観光では、しっかり担当割がされていて、ポイントで案内役が変わった。かつて彼が作った橋の水門を信濃川クルージングしながら案内された。風が心地よい日だった。夜は、美味しい郷土料理にお酒。そして彼の友人達。初めて会った20~40歳離れた先輩方と呑む新潟の酒は、夢としかいいようがない楽しさだった。
彼は、2007年に生前葬を行っている。理由を聞くと「06年にかぁちゃんが死んだから。さびしくなんてない。かぁちゃん死んだし、もう私も一人でなので、どこか行ってる途中で死んでしまうかもしれません。皆に集まってもらって、生前葬でお別れした。」
人生の大切な仲間とお別れをしたかったからだそう。そんな彼の好きな辞世は、豊臣秀吉の「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」である。白鳥ちゃんらしい言葉。22人目の彼女ができるまでは、楽しくお友達を続けられるかな☆